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第84回上越新幹線と高崎駅ビル
昭和57年完成の高崎駅ビル「モントレー」
多くの新技術を駆使して昭和39年(1,964年)に完成した東海道新幹線は、航空機・高速道路などの交通機関の中で、鉄道がまだ重要な役割を果たし得ることを人々に示しました。
昭和45年5月に全国新幹線鉄道整備法が公布され、翌46年1月に同法に基づく路線として、東北・上越・成田の3線が決定され、同年10月には路線の発表がありました。当時の「広報たかさき」は、「新時代へのスタート 上越新幹線駅高崎駅併設決まる 線路はすべて高架」と題し、あらましを報じました。10月から12月まで、市内14か所で路線発表と説明会が行われ、早くも11月には高崎駅で起工式が挙行されました。
上越新幹線は当初、昭和52年度の開業を予定していましたが、後に56年秋開業見込みと修正されました。さらに、埼玉県南地区における用地買収の遅れから、大宮・新潟間を昭和57年に暫定開業することが決められました。
新幹線の起工後、高崎市上越新幹線建設対策本部と群馬県上越新幹線建設促進対策本部は、「高崎駅周辺整備構想」をまとめ、昭和48年10月に市役所で関係者への説明会を開催しました。駅ビル・駅前広場・バスターミナル・ペデストリアンデッキ・東西自由通路・区画整理事業などが構想の柱でした。
駅ビルは、第三セクター方式で運営されることになり、昭和54年12月に高崎ターミナルビル株式会社が設立されました。翌年11月には、大正6年以来親しまれてきた高崎駅舎の使用を停止し、仮駅舎に移転、1年4か月後の昭和57年4月に、新しい駅ビルが装いも新たにオープンしました。地下1階、地上7階(ホテル部分は10階)の駅ビルは、愛称を「モントレー」とし、華やかに開業セレモニーが行われました。これと同時に東西自由通路も使用開始となり、市民の利便性も向上しました。
駅ビルの開業から6か月後の昭和57年11月15日、待望の上越新幹線、大宮・新潟間が開通しました。昭和55年の関越自動車道東松山―前橋間の開通に次ぐ、新たな高速交通時代のスタートでした。始発駅が大宮から上野まで延長され、新幹線としての真価を発揮するようになるのは、昭和60年3月になってからのことでした。
(原田 雅純)