本文
上野国分寺跡
高崎市にある指定文化財 国指定
金堂の基壇(復元)
築垣(復元)
奈良時代の天平13年(741)、聖武天皇は国ごと(約60)に僧寺と尼寺を造ることを命じました。これが国分寺で、後に僧寺が国分寺と言われるようになりました。
当時、群馬県は上野国と呼ばれており、その国分寺は今の群馬地区と前橋市との境近くに建てられました。上野国分僧寺の広さは約200メートル四方、周囲に土塀を巡らし各辺の中央に門が作られました。中央に金堂、奥に講堂があり、金堂の南西側に七重塔が建てられました。
群馬県教育委員会により金堂・塔の基壇や築垣(ついがき)が復元され、またガイダンス施設も設けられています。
文化財情報
- 指定種別:国指定史跡
- 名称:上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)
- 指定年月日:大正15年10月20日
- 所在地:高崎市東国分町・引間町 前橋市元総社町 地図(地図情報システム)<外部リンク>
- 史跡上野国分寺跡へのご案内(群馬県教育委員会文化財保護課)<外部リンク>