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小栗上野介の関連史跡
小栗上野介忠順の墓
小栗上野介父子の墓 右が上野介、左が養嗣子の又一
倉渕町権田の東善寺境内に小栗上野介父子と家臣らの墓(供養墓)、東善寺の裏山には小栗上野介忠順の本墓があります。
境内には貴重な遺品や資料が収められた「小栗公記念館」もあります。
所在地:東善寺(高崎市倉渕町権田169)<外部リンク>
顕彰慰霊碑

小栗上野介の終焉の地、倉渕町水沼の河原に建立された慰霊碑。
碑文には「偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる」と刻まれています。
所在地:高崎市倉渕町権田<外部リンク>
観音山小栗邸跡
観音山小栗邸跡の礎石
江戸から権田村に隠棲した小栗上野介は、東善寺を仮住まいとし、観音山に田畑と用水路を開発し、邸宅の普請をすすめました。しかし、東山道総督府から「陣屋厳重に構え」と追討の口実となり、完成には至りませんでした。
屋敷跡には礎石が残されており、用水路は現在、近隣田畑の水源地として利用されています。
所在地:高崎市倉渕町権田3584<外部リンク>
姉妹観音

小栗上野介の家臣、塚本真彦の家族は新政府軍から逃れる途中、山中で道に迷います。
男児と幼い姉妹を連れた夫人は困惑の果てに幼女二人を川に沈め、跡取りの男児のみを連れて松井田の民家にたどり着きます。
相間川のほとりには、慰霊の姉妹観音像が建てられ、供養されています。
所在地:高崎市倉渕町岩永<外部リンク>(令和8年3月末に移設予定)
移設地:高崎市倉渕町岩永<外部リンク>
小栗又一源忠道の墓
幕府の大目付や勘定奉行を務めた駒井朝温の次男として生まれた小栗又一は、小栗上野介の養女の許嫁として小栗家に迎えられました。
幕府の歩兵差図役頭取に任じられるなど、若くして軍事分野で活躍しましたが、江戸幕府の崩壊に伴い、養父の上野介とともに現在の倉渕町権田に隠せいします。新政府軍が上野介を捕らえるため、高崎へ進軍すると、又一は父の命により申し開きの使者として向かいますが、弁明は聞き入れられず、捕縛されてしまいます。上野介が烏川河川で斬首された翌日の閏4月7日、高崎城下で家臣3名とともに斬首されました。享年21という若さでした。
下斎田は、安永9年(1780)から幕末まで88年間、小栗家の知行地でした。善政を施したことから領民たちに慕われており、村人たちは殿様の非業の死を悲しみ、その遺骸を貰い受け、阿弥陀堂の地に埋葬し、墓を建立、小栗様として供養をしてきました。
所在地:高崎市下斎田町335<外部リンク>

