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インタビュー 林史泰さん

ページID:0032040 更新日:2024年3月1日更新 印刷ページ表示

[写真:林史泰さん]

インタビュー01 イデアプラス 林史泰さん心身をOffにでき、未来を思い描く余裕が生まれた

急成長した外食チェーンの店舗デザインなどを手がけ、移住時のクライアントは100%都内だったという建築設計事務所「イデアプラス<外部リンク>」。コロナ禍で利用者が激増したZoomやSkypeを6年前から駆使し、代表夫妻がリモートワークを軸にする体制をいち早く築いてきた。

「それこそ6年前は、僕は都内でも忙しい方だったので、『なんで群馬なの?』と周囲には不思議がられました。僕自身はこんな良い場所ないと思っていましたが。でも、コロナでリモートワークが主流になってくると、今度は『さすがだねぇ』なんて言われて(笑)」

林さんも始めから地方移住に肯定的だったわけではなかった。「時間のロスというか、もっと歳をとって余裕が出てから、というイメージでした。会社や現場に行く必要がない職種の人の選択肢だと思っていました」

目線が変わったきっかけは、出産を控えた妻・万寿美さんの里帰り。週末を妻と過ごすため、林さんも平日の業務を片付けると上豊岡町の妻の元へ通う生活が始まった。

[写真:林さん夫妻]
林さんと妻の万寿美さん

その頃、林さんは多忙を極めていた。「独立して10数年。働き過ぎで緊張がゆるむ間がなく、常に頭が張り詰めた状態。寝ても覚めても、移動中も仕事している感じでした」

ONとOFFの境がない日々。半年ほど続いた高崎通いの習慣は、気がつけば精神的にもギリギリだった林さんの緊張をOFFにするスイッチになっていた。

娘が生まれ、夫妻は子育て面から考えても、自由に駆け回り、飛んだり、跳ねたりできる高崎の方が良いと感じていた。

「東京は休日に電車に乗るにしても、外食するにしても、子どもが迷惑をかけないよういつも周囲に遠慮しなければならない。そうした都会の窮屈さから解放されたかった」

仮に住むならと軽い気持ちで、烏川沿いのマンションを当たってみたところ、浅間山、榛名山、赤城山が一望に見渡せる最上階の物件が来月空くと聞き、すぐに契約。「3LDKでルーフバルコニーが100平方メートル近くあって、車庫がついて、家賃は7万円代。こんなところがあるんだと驚いて、とりあえず押さえておこうと」。そのまま住み始めて6年になる。

[写真:林さん宅からの眺め]
ルーフバルコニーからの景色の一部。冠雪した浅間山と榛名山が見える(写真提供・林さん)

物理的に東京と距離をおくことは思い切った決断だったが、「全く支障はない。東京の事務所で別の部屋にいる時と、感覚的には大して変わりません」。

むしろONとOFFのメリハリがつき、仕事の能率は上がった。東京本社は渋谷区から東京駅の徒歩圏内に移し、所要時間50分ほどの新幹線の利便性を最大限活かせるようにした。

「近くにほど良い自然と温泉があって、本当にこんな生活でいいのかなってくらい理想的な環境です。平日は一生懸命働いて、週末は半日あればキャンプやスキー、温泉に出かけられる。東京発だと行きも帰りも渋滞に巻き込まれるけど、高崎を拠点にすると車の流れが逆になるから、ドライブも億劫でなくなりました」

働き方も変わり、建築やデザインの10年先を思い描く余裕ができた。娘の通う学校を通して地域の人脈も広がり、2020年7月、話題のSDGsを旗印に持続可能な未来のくらしを考えるオープンラボ「SO.ラボ<外部リンク>」を開設。年齢、職業、関心分野も多種多様な人々が出入りする、知的好奇心にあふれた空間が生まれた。


ちゃいたか<外部リンク>

くらぶち英語村<外部リンク>

絶メシリスト<外部リンク>

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