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頼政神社社宝(稲妻の鎧、白銀造太刀、丁丑筆話)
高崎市にある指定文化財 市指定
頼政神社は高崎藩主松平(大河内)家の遠祖にあたる源頼政(みなもとのよりまさ)を祭った神社です。松平(大河内)輝貞により元禄11(1695)年に石上寺境内に建立され、その後享保3(1718)年に現在地へ遷座しています。
境内には内村鑑三の漢詩「上州人」の碑が建てられています。
稲妻の鎧
稲妻の鎧
稲妻の鎧は、篭手(こて)に雷文があることから、この名前がついています。この鎧は、松平(大河内)輝聴(てるとし)が、黒船来航など世情風雲急を告げた天保(1830~1844年)の頃造らせたもので、大鎧(おおよろい)の形をとっていて、古い小札(こざね)も一部用いられています。
高崎藩最後の藩主で、版籍奉還(はんせきほうかん)後高崎県知事になった輝声(てるな)が、明治になって奉納したものです。
白銀造太刀
白銀造太刀
輝貞が元禄時代に武蔵国の刀匠(とうしょう)藤原助隣に作らせたもので、箱書に元禄12(1699)年の年号が記してあります。
丁丑筆話
丁丑筆話
丁丑筆話は、最後の高崎藩主松平(大河内)輝声と中国人の筆談の記録で明治10(1877)年のものです。輝声は、嘉永元(1848)年高崎場内に生まれ、13歳で父輝聴より家督を相続しています。廃藩置県後は、東京浅草今戸の自邸桂林荘(けいりんそう)に住み、漢詩文を研究したり、中国人などと交流し漢文で筆談もしています。
文化財情報
- 指定種別:高崎市指定重要文化財
- 名称:頼政神社社宝(よりまさじんじゃしゃほう)
稲妻の鎧(いなづまのよろい)・白銀造太刀(しろがねづくりのたち)・丁丑筆話(ていちゅうひつわ) - 指定年月日:昭和44年3月25日
※社宝としては他に諸大名連歌帖が、群馬県指定重要文化財に指定されています。